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将棋の日、徳川吉宗が?! [今日は何の日]

将軍・吉宗の頃に、11月17日に御城将棋という年中行事を行っていた史実から、日本将棋連盟が1975年(昭和50年)に制定した日。(出典:日本記念日協会)


え?! 徳川吉宗って? あの暴れん坊将軍??

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・徳川吉宗
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徳川 吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。初代将軍・徳川家康は曾祖父に当たる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。第7代将軍・徳川家継の死により秀忠の血をひく徳川将軍家の男系男子が途絶えると、6代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身では初の養子として宗家を相続し、江戸幕府の第8代将軍に就任した。紀州藩主時代の藩政を幕政に反映させ、将軍家宣時代の正徳の治を改める幕政改革を実施。幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を実行した。徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として権力を維持し、財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれた。 この幕府改革で破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれ、江戸時代を代表する名君の一人とされる。(ウィキペディアより引用)


歴史の教科書にも出てくる「享保の改革」「新田開発」「公事方御定書」「目安箱」などなどあれど、吉宗が将棋??

不思議と思い、いろいろ調べてみたが、これは初代将軍徳川家康からのことらしい。

徳川家康は囲碁と将棋を愛好し、囲碁・将棋の上手に俸禄を支給したとのこと。
はじめは碁将棋所というものが置かれ、その後将棋所が設置された。
将棋所は門下のものから将棋の上手を出し、将軍の御前で将棋を指すようになった。
これが「御城将棋」のはじまりとなる。
その御城将棋(おしろしょうぎ)とは、将棋所が毎年1度、江戸城内で公務として行っていた対局のことで、開始当初は時期がまちまちであったが、後に制度化され、徳川吉宗の代に旧暦11月17日に行われるようになった。
ということで、「将棋の日」の由来はこのようなことである。

でも、建前は 「将軍の御前で技芸を披露する」となっていたが、将軍が観戦に訪れることはほとんどなく、老中がごく短い時間観戦する程度だったとのこと。

何事も調べてみると、深いぃ~ ですね!
たまには孫と将棋でもしてみますか。。。
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