野坂昭如さんが亡くなった。青島幸夫さんとあの選挙がわすれられない! [訃報]
「火垂るの墓」などの作品で知られる直木賞作家の野坂昭如さんが9日に亡くなったことがわかった。
脳梗塞のリハビリを続けながら執筆活動を行なっていたそうだ。85歳だったとのこと。
彼の思い出は、なんといっても 1974年7月第10回参院選に東京地方区から無所属で出馬という
私自身が大学生として東京で初の選挙権を得た時のことである。
ただ、その当時住民票を移していなかったため、実際の投票は出来なかったが、
著名な作家が選挙に出るということで、かなりの衝撃を受けた記憶がある。
たしかこの時は、あの青島幸夫氏が街頭演説などの選挙運動を一切しないという独自の選挙活動を行ったことで話題になったはず。
そんな破天荒な行動も、彼ほどの知名度があればこそと思うのだが、
我々当時の若者にはカッコイイと思われた。
その後の選挙権を得た私は青島氏が都知事選に出たときには投票したはずで、確か170万を超える得票数で圧勝した。
そんな青島さんよりももっと衝撃だったのが野坂さんの選挙だった。
お父さんはに新潟県副知事を務めた方らしいので、政治に関してもなんらかの自分の考えがあったのかもしれないが、青島さんとの関連で第二院クラブからの出馬だったのだと思う。
あのまま政治家になっていたら・・・いや、やはり野坂さんは野坂さん、
マリリンモンローノーリターンならぬ、野坂昭如ノーリターンなのであろう。
そんな野坂さんがお亡くなりになった、85歳であった、あの40年も前のことが昨日のように思い出されるが・・・
ご冥福をお祈り申し上げます。
脳梗塞のリハビリを続けながら執筆活動を行なっていたそうだ。85歳だったとのこと。
彼の思い出は、なんといっても 1974年7月第10回参院選に東京地方区から無所属で出馬という
私自身が大学生として東京で初の選挙権を得た時のことである。
ただ、その当時住民票を移していなかったため、実際の投票は出来なかったが、
著名な作家が選挙に出るということで、かなりの衝撃を受けた記憶がある。
たしかこの時は、あの青島幸夫氏が街頭演説などの選挙運動を一切しないという独自の選挙活動を行ったことで話題になったはず。
そんな破天荒な行動も、彼ほどの知名度があればこそと思うのだが、
我々当時の若者にはカッコイイと思われた。
その後の選挙権を得た私は青島氏が都知事選に出たときには投票したはずで、確か170万を超える得票数で圧勝した。
そんな青島さんよりももっと衝撃だったのが野坂さんの選挙だった。
お父さんはに新潟県副知事を務めた方らしいので、政治に関してもなんらかの自分の考えがあったのかもしれないが、青島さんとの関連で第二院クラブからの出馬だったのだと思う。
あのまま政治家になっていたら・・・いや、やはり野坂さんは野坂さん、
マリリンモンローノーリターンならぬ、野坂昭如ノーリターンなのであろう。
そんな野坂さんがお亡くなりになった、85歳であった、あの40年も前のことが昨日のように思い出されるが・・・
ご冥福をお祈り申し上げます。
2015-12-10 10:43
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