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喜多嶋舞の親は誰? 大沢樹生との騒動に思う [芸能問題]

昨日のフジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」で、安藤優子キャスターが、 元光GENJIの俳優大沢樹生が女優喜多嶋舞との間にもうけた長男について「親子関係不存在」の確認を訴訟で求めた件について、安藤は「あんたは僕の子じゃないんだよって言われる息子の気持ちになると切なすぎません?」と長男に同情、疑問を投げかけた。

たまたまそれを見ていた爺ッチは、大沢樹生さんというのは申し訳ないけどあまり印象になく、むしろ喜多嶋舞さんのほうが興味ある。というか、喜多嶋舞さんの両親についてだ。

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・喜多嶋舞の親は誰?
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母親は女優の内藤洋子
父親は音楽プロデューサーの喜多嶋修

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・内藤洋子さんとは?
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かつて東宝の専属だった女優
1965年黒澤明監督の『赤ひげ』の「まさえ」役でデビュー

私、爺ッチとしては、「白馬のルンナ」という50万枚の大ヒットとなった歌が印象的だ。

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・喜多嶋修さんとは?
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爺ッチが、ど真ん中ストライクのあこがれのグループサウンズ

「ザ・ランチャーズ」のメンバー

真冬の帰り道.jpg

『真冬の帰り道』は、今でもカラオケで歌っております。

現在は、作曲家や音楽プロデューサーとして活躍しているようです。

ちなみに、ランチャーズのついては、ウィキペディアより引用したものをご参考に
加山雄三主演の「若大将シリーズ」が始まったころ、藤本真澄プロデューサーが加山に「会社の人間で演奏できるやつを集めてバンドをやれ。映画でも使うぞ」と指示して、加山がメンバーをかき集めて1962年結成した[1]。「進水する」という意味でザ・ランチャーズと名付けられる。第一期(結成当初)のメンバーは、加山雄三、二瓶正也、津田彰、佐竹弘行、三木敏彦、速水洸の6人。東宝の俳優らを中心メンバーにしてスタートしたが、それぞれの本業が忙しくなり、活動が困難になったため、一旦活動を停止する。 1964年、加山雄三は従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟と、大矢茂の4人で、第二期ザ・ランチャーズを再結成した。 1967年、喜多嶋瑛、喜多嶋修、大矢茂、渡辺有三の4人で第三期ザ・ランチャーズとなり、同年11月に東芝音楽工業よりシングル「真冬の帰り道」でデビュー。同じく加山雄三と縁の深いザ・ワイルドワンズは明快なサウンドによって独自の個性を発揮したが、一方のランチャーズは全員慶大生という育ちの良さを売り物にするもメンバーの個性が乏しく、それに加えて明確なサウンドを打ち出すことも出来ず、そして常に加山雄三のバックバンドのイメージが付きまとった。 デビュー曲以後はこれといったヒット曲に恵まれず、1969年10月にドラムスを喜多嶋瑛から河手政次に交代しながら活動を続けていたが、1971年春に解散した。 1994年7月、島英二を始めとするザ・ワイルドワンズのメンバーらによりランチャーズの名を冠する「加山雄三&ハイパーランチャーズ」が結成された。


ここにも出て来ます加山雄三さんの「若大将シリーズ」についても、

書き始めたら止まらなくなりそうですので、今日はこの辺にて。。。

いずれにせよ、喜多嶋舞さんのご両親は、今回の裁判の結果について

どう思われているのか、他人事とはいえチョット心配ですね。
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